本来のメインコンテンツを目指したUOもログインしてはうとうとしてログアウトを繰り返す今日この頃。仕事のせいなのか、秋だからなのか、認めなくないものだな的な歳のせいなのか・・・。少なくともUOのコンテンツを書くまでは他のネタは振らないぞ、と心に決めていたものの、どうにも我慢できず更新。来て下さってがっかりされた方はどうかご容赦を・・・(ここは管理人の「地面の穴」でもあるもので・・・)
さて、何が書きたいかというと十二国記ネタ。前回の更新でも十二国記最終エピソードの前半(1、2巻)が発売されるよーマチキレナイヨーということを書いたわけですが、やはり前半だけを出して後半は後日、というのは相当なストレスを感じるようです。文章のプロである新潮社の方たちはこのことをご存じなかったはずはないと思うのですが・・・。この状況は著者である小野不由美氏の作風により拍車がかかります。というのも小野氏の作品というのは、全体的に、起承転結がはっきりしており、起承で読み手に対し徹底的にストレスを掛け、「転」で伏線を拾い集めて、「結」で怒涛の如く物語を解決します。これの意味するところは、今回の月を跨いだ販売によって、ストレスを掛けられた状態で読者は一か月放置されることになったということ。これにより、巷では物語が進まない。冗長だ。情景描写なんていらない、などなど。避難の嵐が吹き荒れています。
私としては、同意はできない(小野不由美氏の文章を読むだけで楽しい。もはや病気)もののまあ根も葉も無くはないよなというのと同時に、非難している人たちが小野不由美作品をどう読んでいるのかがとても疑問です。例えば十二国記の第一作である「月の影 影の海」では前半部で主人公の少女は徹底的に落とされます。良いことは何もなく、救いはもちろん救いの兆しもなく、唯々追い立てられて苛まれ、人格すら歪んでいきます。当時読んだときに、なんでこんなつらい思いをして本を読んでるんだろうなと思った記憶があります。それが後半に入ると、「転」の部分で「ひっくり返」され、「結」では正に大団円を絵にかいたような読み手のストレスをすべて洗い流してくれるエンドで物語は幕を閉じます。
それまでにも同年代の中では割と本を読んでいるほうだと自負していましたが、この物語とは違い、起承転結それぞれに見せ場があり、楽しんで読めるものでしたので、こんな語り方があるのか!と強い衝撃を受けました。と同時に「終わり良ければ総て良し」を身を以て体感したわけです。完璧なエンディングによって、逆境の描写はスパイスに変わり、苦しさしかなかったはずの前半をまた読みたくなる。そして、そうなるともう、その部分を読むことすら楽しい。もちろん小野氏の持ち味はこればかりではありませんが、以来自分の中で「小野不由美」という作家が一生読める作家という位置づけになったのでした。
自分にとってはその体験こそが十二国記でしたので、今回の話が進まない、ストレスだー、と言っているコメントを見るたび、いつもの十二国記の展開なんだが・・・とつぶやかずには居られません。また、少し面白かったのが、Amazonのレビューで、「世界観が崩れた」と書いている人がいたこと。言い分としては「これまで十二国記の世界には宗教などなかったのに、道教と道観が当たり前のものとして書かれている!世界観が崩れた!緻密に編まれていると思っていたのに失望した」というものでした。これまでも物語中には仏教や道教が存在することは既に書かれていますし、逆に、今回の舞台である戴を含め、舞台になっていない国々に関しては、風俗習慣、果ては気候すら明らかではない訳です。十二国は舞台設定の特性上、各国で世俗風習はかなり差があります。それを初めての舞台になった国の話で「おもてたんとちがう!」と堂々と言われても、と・・・。これは小野不由美氏も18年間迂闊には続編が書けなかったことでしょう(笑。当然、その人、RESでその点に言及されますが
- 私は初作品の初版から今に至るまで18年間読み返している
- これまでそんなことを示唆する記述はなかった。不整合だ
- 十二国は神に祈る世界ではない
- これは私の感想だ。とやかく言われる筋合いじゃない
と強気。しかし、さらに物語中の記述を挙げて指摘されると
- 18年読み返しているとは言ったが一字一句憶えてはいられない。うろ覚えの部分だってある
- だがそれは刊行の間が空いたせいだ
- (既刊などの)早い段階で道観について語られなかったのが悪い
- 議論なんかしたくない
と無茶苦茶な論を展開し始めます。緻密に編まれていた世界観が崩れたと言っていながら、うろ覚えって時点でアレですが、感想と事実誤認の切り分けもできておらず、果てはどうも道教についても知らない様子(十二国記自体が道教ファンタジーなのに)。緻密な世界観も読み手次第なんだなあと痛感させてくれました。自分の主観からすれば宗教の内幕なんて部外者からはわからないものですし、そのための建物があり維持できている時点で相応の組織が存在すると理解するので、今回の舞台設定については、こう来たかーくらいの印象で特別奇異なものではなかったのですが・・・
また、個人的には完全にアウトだったのがBlogosに掲載されていた十二国記に見る「女性ならではの視点」の本当の意味でした。上はともかく、テメーはだめだ(笑
いや、この人、本当に十二国記読んでるんでしょうか。言ってることは極めて頓珍漢。女性ならではと取り上げた要素には女性も全く関係ないし(確かに女性ならではの発想かもしれない設定はあるのですが)。もしかして、身近に十二国記をそう評してる人が居て、このジェンダーフリーの風潮に乗っかろうとその切り口で書き出したは良いものの、どこの事だがわからなかったとか?と邪推してしまいます。世界が人工っぽくてダメだとか、十二国の国家間で戦争がないのは不自然だとか・・・、案の定こちらもコメントでボッコボコに叩かれていますが、世界が人工っぽいのは人工(神工?)だからですし、国家間で争いがないのは、覿面の罪という強制自爆スイッチのせいです。秋が来て春が来るのが自然なように、隣の国に攻め入ったら責任者である国王が即死するのが普通の世界なら、普通に考えてそら戦争なんかしないでしょうよ(笑
まあ、本人も申告しているように、昨日今日十二国記を手に取った人のようですが、シリーズ累計1200万部って時点でそれなりの人が読んでいること、ひいてはそれなりの数の人が大切にしていること。その話を弄るのならせめて読み込んだ上でするくらいの心遣いはないのでしょうか。少なくとも私だったらこの人に仕事は出さないなあ・・・(コンサルらしいですけど)。というか、この人のエントリー自体が十二国記の解説としては「有害」だと思います。あまりにも的外れすぎる
指輪物語もそうなのですが、色々な伝承を集め、その中から生み出された物語、緻密に編まれた世界観、それらは読み手にもそれなりの知識や受け皿を要求してしまうのかもしれません。これが「敷居が高くなる」ということなのでしょうか。私にとってはそれでも尚、十二国記の魅力は全く褪せるものではないのですが・・・。
ともあれ、いよいよ明日、十二国記本編の最終巻が発売されます。18年間楽しみに読んできた物語が18年後も楽しめる物語であるよう、素晴らしい結末を迎えられることを願って止みません。 長々と書きましたが、ここにお立ち寄りくださった方の中でもし、 ファンタジー小説に抵抗がなく、且つまだ十二国記をお読みでない方が居られれば是非一度、十二国記をお試しになっては如何でしょうか。