キングコングという芸人コンビの西野と言う人が
といったそうだ。でも、これ本当にそうだろうか・・・?芸人は「面白い話を聞かせる」のが仕事だ。お客さんはお金を払って面白い話を聞きに、笑いに行く。では翻って教師の仕事とは何だろう?
教師の仕事は教えること。教えるべき内容と時間は決まっていてその時間内におさめるという制約もついている。面白がらせるのは仕事だろうか?面白い話を織り交ぜ、生徒の興味を喚起し、憶えやすくすることができればそれは素晴らしいだろう。だが、子供たちの興味はみな違う。興味を持っていることでも集中力の時間は限られる。学びより遊びに惹かれる。これは子供を持っている親なら皆が実体験として知っている事だ。それを一律に惹きつけることが当然だというのだろうか
それぞれの職業に職分というものがある。私はそれを「教える」ことだと書いた。しかし、西野氏は言う
・スマホの使用を禁止する前にさ、発声の訓練をした?
・人を惹き付ける喋りの訓練をした?
・人を惹き付けるビジュアルの努力をした?
・ショーの世界を覗いて勉強をした?
・手や身体の振り方を研究した?
・今の流行り、全部言える?
これは、教師の「仕事」だろうか?芸人の仕事ではあるのだろう。教師と芸人は喋ることを仕事とする、という共通点もあるだろう。しかし、これを教師の仕事だと言うのはあまりにも傲慢だ。この中に教師の仕事は無い。教師の仕事は本来「教える」ことであって、それ以上ではないと私は思う。教える内容を解りやすく分解すること。強いて言うなら滑舌を鍛えることなどは、教える上での要素になってくるので「発声の訓練」は含まれるかもしれない。しかし、それ以外は・・・挙句の果てに今の流行りとは・・・。「自分はこう思う」「自分はこうしてほしかった」「こうなってくれたら良いね」それ自体は良い、それを人に伝えることも良いと思う。それがムーブメントになり、人を意識させ、時代を変えていくこともある。だが、その職分以上のことを求め、それができなければ怠慢だと切って捨てるのは傲慢だ。理想と、最低限果たすべき役目は別のものだ。本当のことを言われると、立場がなくなるので炎上すると言っているが、私は違うと思う。あるべきものを超えて他人に求め、それができなければ怠慢だとして人を追い詰めるそのスタンスを責められているのだと私は思う。
例を挙げるのであれば、
芸人の仕事はお客さんを笑わせることだから、ひいては人を幸せにすることだ。お客さんというのはライブを聞きに来た人、TVで見た人、ブログでエントリを読んだ人、それら全員だ。それができないのは努力不足だ。怠慢だ。
と言われているのとどれほど違うだろう。少なくとも私はこのエントリを読んで幸せにはならなかった。西野さん、あなたは思考停止してはいませんか?