動画配信サービスで熱中時代 2011と言うのが公開されていたので、観てみた。

結果からいうとコレおかしくね?ということだ。ネガティブな意見なので、この作品が好きな方はここから先を読まれるのはお勧めしない

熱中時代というのは教師ドラマのハシリのようなもので、1978年~1979年にかけて放映された水谷豊さん主演のドラマ。この世代で北野広大というキャラクターを知らない人はいないと言ってもいいほど、有名なドラマだったそうだ。

今回話題に挙げる熱中時代2011もその流れを汲んでいていて、主人公(佐藤隆太)は北野広大の教え子に当たる。熱血で一生懸命で若気の至りなこともあるけれど、自分の憧れた北野先生を見習って日々一生懸命、生徒とともに笑い、悩み、成長しようとする今となっては珍しいタイプの先生だ。

ここまでは良い。キャラ付けも至極真っ当だと思う。だけど私はこのドラマの脚本家が話をどこに落とそうとしたのかさっぱり解らない。このドラマを見る限り、主人公の一生懸命さは「暴走」に他ならない。例えば、母子家庭でお母さんが昼夜働いている子供の所に家庭訪問に行く。お母さんは居ないので、生徒と話し、「片親でもありのままで良い」ことを教えてあげる。今度はお母さんの所へ行って(交通誘導の仕事をしている母親の現場に押し掛けて行って)夜仕事をしていることで子供(娘)が一緒に夕食ができなくて寂しがっていることを言う。正気か?という感想しか出てこない。それを伝えて、母親は辛い思いをして、さてどんな解決策があるというのだろう。生活費が足りていればそんな事をする必要は無いワケだが、主人公は生活費は勿論、母親の別の仕事のアテがある訳でもない。お母さんを支えたくて必死に泣きごとを言わずに我慢している娘からすれば、せっかく余計な負担を掛けまいと堪えているのに、この担任、わざわざ出かけて行って母親に辛い思いだけさせて、何かしたつもりになって帰って行った訳だ

更に、過去に受け持ちの生徒たちと揉めて関係を拗らせてしまった同僚(教師)と生徒の仲を修復しようと試みる。素晴らしい。でも情報収集はしない。根回しもしない。よくわかんないけどさー、仲良くしなよーとヘラヘラ口を出してみるだけである。そんなもので修復できるなら、そもそもこじれている訳がない。あまりにも当然の結果ながら、関係は悪化する。

万事がこんな調子で、やったことに対する責任を取れていない。もっと言うなら結果を予想できていないし、予想しない。準備も計算も責任もないのである。途中「ズカズカ土足で踏み込んでいく」という表現があるが、本当にそのまま。脚本家はそこまで言っておきながらそこに対するケアが全くないというのは一体何を意図しているのだろう。一生懸命さが大事?未熟な相手を許すこと?

一生懸命さは時として未熟さを補ってくれる。でもそれは結果に責任を取らなくてよいということではないし、起きてしまったこと(起こしてしまったこと)を無かったことにすることなんてできない

ドラマだから主人公は許してもらえる。こじれかけた生徒との関係も修復される。お互いに未熟なんだからと。だけどこれが現実だったら?と思うと正直観ていた方は感動もできず、傷ついた人たちの心の傷や、主人公の無神経さだけが心に残って不愉快この上ない。当然のことながら現実はドラマのように、「ここで終了」というのは無い。昨日を背負って、今日も明日も続いていく。

沸々と昨晩感じた怒りが蘇ってきたが、誰か、このドラマが語ろうとしているものを知っていたら教えてほしい

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